普通って何なの
日常会話でよく使われていますよね。
普通は〇〇〇だよね・普通列車・普通に美味しい、などなどいろんな場面で使える便利な言葉です。
一般的、日常的、平均的、平凡、ありきたりな事を示しています。
普通というのは感覚的なものが大きいので、当然ですがその感覚は人によって違いますよね。
あなたの普通と私の普通は違う。
それなのに日常会話で使った時に、いちいち突っ込まれることはありません。
ということは、自分の頭で描いている平均像みたいなものがあって、大部分の人が共有出来る範囲の誤差にに収まっているということですよね。これ凄い事ですよね。
このぼんやりした大まかな平均像を、「公共普通」と名付ける事にした。
公共普通に対する私のイメージは、
- ぼんやりしてるよねー。
- ユルイよねー。
- でも優しいよねー。
- なんだか親しみやすいよねー。
という暖色系のイメージです。
私も普通という言葉をよく使いますが、それは普通を尊重しているからです。
普通が変わった
それは26歳の時でした。
医者に言われた。「人工透析をする必要があるので入院してくさださい」、カビイーン
1ヵ月ほど前からそろそろ来るかなーと思ってはいたものの、かすかな望みは持っていましたので、いざ宣告されるとやはり動揺は隠せない。
絶望と不安で折れそうになっていたのを覚えています。
それから私の普通は大きく変わりました。
普通を失ったというのが、この時の正直な気持ちです。
食事制限に水分制限と1回当たり4時間の人工透析を週3回。
こうして制限のある生活が始まりました。
愛しき普通
普通を失ってから、その大切さを思い知らされた。
今まで退屈だとかつまらないと思うこともあった何の変哲もない日常が愛しく思えた。
そうだ。何気ない日常こそが幸せだったんだよねー。
- 朝目が覚めて起きる→ちゃんと起きれて幸せ。
- 朝ご飯を食べる→ご飯を食べれて幸せ。
- 会社に行く→働ける事が幸せ。
こんなふうにすべてが、あたり前のように過ぎてゆくが、本当はあたり前ではなく幸せの連続だと思います。
良し悪しにかかわらず規則的に連続して起きる状態を、当たり前(普通)と認識してしまいます。
なんともったいない。
現在は他の病気も加わりより多くの制限があり、公共普通とはほど遠いものになった私の普通。
その中で自分の幸せを模索してまいります。
普通の人生、それでいい。
何か、とても、心に響きました。
泣きそうなくらい。笑
公共普通。何て素敵な言葉!
いつも、楽しいブログありがとうございます😊
日々の楽しみの1つに加えさせていただきました。感謝!
first snowsさんへ
コメントありがとうございます。
当サイト初のコメントとなり、大変嬉しく思います。
first snowさんのお陰で、私もはげみになります。
今後ともよろしくお願いいたします。
こいこいより